★ レッツ・カンフー!(修行編) ★
<オープニング>

「親分ー!」
 けたたましく走ってくる子分たち。『親分』と呼ばれた男――竹川導次が振り向いた。
「なんや、どうした」
「うちのシマ荒らしよった奴等を追ってましたんや、したら――」
 最近、導次の取り仕切る地域がどこかの映画から出現した一団に荒らされているという報告を受けていたのだ。その一団を調査しに導次は舎弟たちを派遣していたのだが――。
「どこの連中か、判ったんか?」
「判ったには、判ったんです」
 親分の問いに歯切れの悪い子分たち。
 ふと、導次は油断なく鋭い眼を細める。彼らの中に見慣れない顔の少年をひとりみつけたのだ。
「ソイツは何や?」
「シマ荒らしは逃がしましたんやけど……コイツ、連中にボコられとったんです」
 確かに、少年の服は泥と埃で汚れており、顔にいくつも生傷が走っている。
「どうも、コイツはシマ荒らしの連中と同じ映画のもんらしいから、連れてきたんです」
 子分の報告が終わるのを見計らい、それまで黙っていた少年は誠実そうな瞳を真っ直ぐに導次に向けて尋ねた。
「あなたは、私を助けてくれたこの方々の師匠なのですか?」
 少年の見当外れの見立てに、さしもの親分も目が点になる。
「いや、俺は『師匠』ゆうような立派なもんやない。こいつらを仕切ってるだけや」
「失礼いたしました。しかし、お見受けしたところあなたは……ただものではない」
 真剣な口調の少年に、
「当たり前や!」
 子分たちは口々に言った。
「お前、なかなかええ目ぇしとるやないかい」
「親分はめちゃめちゃ強いんやぞ!」
 すると少年は何を思ったか突然、導次の前で膝をつく。
「『親分』殿。私には討たねばならない仇がいて……どうしても、強くなりたいのです。どうか、あなたの弟子にしてください!」
 目の前で、片手の平で片手の拳を包み、深く頭を垂れる東洋武術式な礼をされ導次は言葉を一瞬、失ったが――次の瞬間、吹き出していた。驚きを通り越し、いっそ面白おかしかったのだ。
「はははは!! 師匠! この俺が、センセイ! たまらんのぉ」
「親分っ、笑ってる場合ですか」
 子分たちのたしなめに、ようやく笑いを収めて導次は一転真顔になり、
「俺が教えられる言うたら、極道のイロハくらいやからのぉ」
 しばらく考えてから側近を手招いた。
「おい、心当たりかたっぱしから当たったれ。このガキに、ええ“先生”みつけたり。もちろんカタギさんでやからな」

種別名シナリオ 管理番号56
クリエイター平岡アキコ(wbpp2876)
クリエイターコメントこんにちは。平岡です。
カンフー映画『熱血・炎の拳法』というやや暑っ苦しい映画から出てきた少年、フォン君の師匠になってあげてください。
一通りの拳法の基礎能力はありますが、愚直なほど真面目な子なので、悪党たちに対抗できる奇策を授けてあげてください。
今回は”修行編”です。次回には「師匠の仇」を倒す”打倒編”をお送りする予定です。(どちらか一方だけのご参加でも全く問題ありません)
よろしくお願いいたします。

参加者
薄野 鎮(ccan6559) ムービーファン 男 21歳 大学生
冬月 真(cyaf7549) エキストラ 男 35歳 探偵
十狼(cemp1875) ムービースター 男 30歳 刀冴の守役、戦闘狂
<ノベル>

 ここ数日、銀幕市はおだやかな晴天に恵まれていた。
 冬の高い空には淡やかな雲が舞い、小鳥たちが戯れる――平和な気持ちで天を仰ぎ、のんびりと休日の散歩を楽しむ青年の姿がひとつあった。
 男性にしては小柄で、ほっそりとした体型。つややかな黒い髪におだやかな瞳。一見すれば女性と見まごうような容姿の持ち主の彼は、誰であろう近頃すっかり銀幕市のトラブルシューターとして街を駆け回るムービーファンの薄野鎮である。
「少し、広場で休憩していこうか」
 頭の上に乗せたバッキーの『雨天』に提案し、薄野青年は銀幕市民の憩いの場、銀幕広場へと足を向ける。
 顔なじみがいるかもしれない、という期待が自然、彼の足取りを軽くした……が、このとき、彼は想像もしなかった。とてもやっかいな『7日間』が彼の身に迫っていることに――

 *

「ちょお、ちょおっ! 待ってーな、そこの兄ちゃん!」
 背後で、こってりとした関西なまりの男の声が聞こえ、薄野青年は足を止めた。銀幕広場に足を踏み入れたとたんのことだ。
「アンタやって、アンタ。そこの姉ちゃんっぽい、兄ちゃん!!」
 ――姉ちゃんっぽいって……。
 不本意ながら、自分のことであるらしい。薄野はちょっぴり脱力して振り返り――思わず心の中で「うげ」と、うめいてしまった。
 そこには、原色のシャツ(ボタンが上から3つ外れている)の上に真っ白なスーツを着込み、髪の毛を金色に染めた若い男が立っている。耳に鼻に唇に、顔中の至るところジャラジャラとピアスが並んでいた。
 カツアゲ? それとも怪しげなセールス? これはヤバいと鷹をくくり硬い表情で挑もうとしたのだが、
「やっぱりそうや。あんた、ススキノマモルやろ?」
 名前を言い当てられ、眉根を寄せた薄野が口を開くよりも早く、ピアス男が先にまくし立てる。
「いつぞやは、親分がエライ世話になってもうたらしいやないかい。おおきに」
「親分って――じゃあ、あなたは竹川導次さんのところの?」
「せや。ワイは”舎弟F”いう、一応『ムービースター』ってヤツや」
「”舎弟F”さん、ですか」
「映画の中で”田所”いう役名はもろとんやけど、親分なかなか覚えてくれはらへん。なにせ、ちょい役の鉄砲玉やからなー」
 あはは、と笑う。自虐的な自己紹介になんと答えればいいのかわからず、薄野は苦く愛想笑を返した。その困り顔に気がつき、ようやく”舎弟F”こと”田所”は笑いを収めて、一転真顔になる。
「ちゃうんや。あんたを呼び止めたのは、茶飲み話したかったわけやなくて他でもない、依頼したい仕事があんねん」
「依頼?」
 小首をかしげる薄野に、田所は自らの背後をちらりと振り返り、目線で指し示した先――広場の横長のベンチのひとつ、その周りに年齢はまちまちであるが3人の男たちがいた。誰一人、ベンチに腰をかけるものはなく、全員が押し黙っている。
 暗い、だとか険悪、だとかそういうことではない。説明はつかないが、彼らの間に流れる重たい雰囲気はどうにも自分とは合間見えないような気がして、薄野は不安な気持ちで尋ねた。
「依頼の内容というのは?」
「あの3人の中で一番若いガキがおるやろ」
 と指をさされたのは、まだ幼さの残る男の子だ。無造作にくくられた黒髪に細身の身体。身に着けている服は、武術か何かの道着のようだった。レンガ色の服は、使い込まれており、肘や膝のあたりがあちこち擦り切れている。
「あの中学生か高校生くらいの子ですよね……彼はムービースターですか?」
「せや。映画ん中で、師匠を殺されてもうたばっかりの『カンフー少年』なんやて」
 さらりと少年の気の毒な身の上を教えて田所は小さくため息を落とした。
「それでな、アイツの仇っちゅうのが今、導次親分のシマ荒らし始めとる『雷鳴館』いう武術道場の連中や。ホンマはすぐにでもぶっ潰してまいたいトコなんやけど……そのガキ、どうしても仇討ちさせてくれって泣きついてきよったんや」
「じゃあ……依頼って、仇討ちの助っ人?」
 よりによって、拳法の素養のない自分に頼むなんて――と反論しかけた薄野鎮に、田所はけろりとして「ちゃうよ」と首を振った。
「仇討ちに参加する以前の問題なんや。まずはあのガキを鍛えて欲しいねん。今のままやと『仇』の門下生にも勝てんらしいわ……まったく、親分も物好きやで。この忙しいときに」
 難儀やわー、とぶちぶちぼやき田所はここだけの話、というように声を落とした。
「何も、アンタに腕っ節期待しとらへんねん」
「……はぁ」
 頷くものの、それはそれで何か素直に納得できない。
「武道に関しては、他のあのふたりに頼んどる」
 と、ベンチの方向を指差す田所。少年の他に、ふたりの男がいた。ひとりは黒髪のどこか鋭い雰囲気のある細身の男――別段に構えている風ではないのに、隙の感じられない空気を持った人だ。もうひとりの男は両方の腰に2本の剣を下げた、見るからに剣士だ。白い肌に上背が高く、がっちりとした体格に尖った耳――ひとめでムービースターとわかるほど浮世ばなれした姿をしている。
 なんとも言いようのないピリピリとした空気の正体が、ようやくわかった気がした。導次親分に声をかけられるくらいなのだ。『油断』という言葉とは無縁そうなあの両者とも、数々の修羅場をくぐった武闘派なのであろう。
「ススキノさんに頼みたいのは、なんちゅうか……まとめ役やね。仇討ちやなんやいうても、あのボウズまだ子供やん? どうやろ、気の毒な子供を助ける思て引き受けてくれんやろか」
 そんな風に言われてしまうと、断りづらい。
「はぁ……じゃあ……補佐、ということなら」
「よっしゃー、助かりますわ、ススキノさん! おーい、ボウズ! お前のセンセイ、もうひとりみつけたでー」
 3人に向かって大またに歩く田所。薄野青年は複雑な気分でそれに続く。
 地面に片膝をつき、くだんの『仇討ち少年』は深々とお辞儀をした。
「はじめまして、紅蓮館のフォンといいます」
「薄野鎮です。よろしく」
 丁寧な挨拶につられて、お辞儀を返す薄野。
「さて……センセイ方が集まったところで早速何やけど、このボウズにくれてやれる時間は1週間だけなんや」
 少年は事前に聞いていたことらしい。硬い表情で、田所の話を聞いている。
「お前の仇やいう『雷鳴館』の連中は親分のシマで暴れまわっとるんや。ホンマやったら今すぐにでも殴りこんどるとこやが……とにかく、これ以上親分の顔は潰せへんねや。1週間以上は待たれへん」
 ここで、初めて細身の男が口を開いた。
「竹川導次のお情けということか」
「ぶっちゃけその通りや、冬月さん。黙っててもしゃあないから言うてまうけど、親分は最初からボウズに期待してはらへんで」
「そんな……」
 驚き、思わず小さく声をあげる薄野青年。
 大柄な男は腕を組んだまま瞑目し、黙って話に耳を傾けている。
 当の少年は、言葉もなくうつむくだけだった。
「とにかく、お前の希望通り『師匠』をみつけたったんや。ボウズ、せいぜい頑張りや」
「……ありがとうございます、田所どの。このご恩、忘れませんと親分どのにお伝えください」
「じゃあ、ワシはこの辺で――」
 去ろうとする金髪の舎弟を、先ほど冬月と呼ばれた細身の男が制する。
「待て」
「なんか質問ですか、冬月さん」
「それ以前の問題だ。俺は『仕事』があると聞いて、ここにきた。『師匠』をやるなど言っていない。おい、貴様」
 と冬月は少年を振り返る。
「希望通りの『師匠』というのは、なんだ?」
 冷ややかな問いに、目をしばたかせて少年は答える。
「武術の師匠です。僕は、師の仇を討つために強くなりたくて――」
「『師匠』の仇を討つための、『師匠』だと? 貴様、今まで何を習ってきた」
「え……基礎の型と、紅蓮流の型とを毎日続けてきました」
「では、貴様は日々積んだ修練をあっさり捨てて新たな師に教えを請うのか」
 冬月は心底呆れたように少年を見据えた。
「よくもそんな尻の軽いことができるな。故人への最大の侮辱だ」
「……!!」
 少年の顔色が、目に見えて青くなる。
「死んだ師から習った技を鍛え、その武術を持ってなぜ挑もうとしない?」
「そ、それは――」
 言葉に詰まる少年に、冬月は冷笑した。
「貴様が何も学んでいないからだろう」
「……っ!! あなたに、何がわかる……?」
 震える声。小さな、つぶやきのような反論を、冬月は「わかる」と容赦なく切り捨てた。
「今の貴様じゃ、強くなっても仇は討てない」
 断言し、踵を返してそのまま歩き出す。
 何も言えずに見送る一同の中で田所だけが去り行く彼の背中に、気の抜けたような声で尋ねた。
「冬月さーん。どこ行きますん?」
「仕事だ」
 振り向きもせずに返された短い答えに、田所は苦く笑う。
「手厳しい探偵さんやのー……まぁ、しゃあないわな。おふたりさんだけで、なんとかやってんか」



 冬月が、そして田所も去った後、重たい沈黙が3人の間に流れた。
 少年は青ざめた顔のまま目を閉じ、静かに呼吸を繰り返している。何かを、抑えるように。
 大丈夫かな、この子……。
 声をかけるべきかどうか、薄野が悩んでいると、ふいに口を開いたのは、今まで一度も口を挟まずなりゆきを見守っていたもうひとりの『浮世離れした』武人だった。
「移動いたそう」
「え……?」
 突然の提案に、つい聞き返してしまう薄野青年。
「鍛錬するのであろう。ここでは場所が悪い」
 確かに、銀幕広場では人通りが多すぎる。
「ああ……そうですよね。すみませんが、お名前は――」
「十狼と申す。薄野殿」
 ――なんで、僕の名前を?
 驚き顔に、十狼と名乗った男はほんの少し眉を持ち上げてみせる。
「先ほど、田所殿との会話が聞こえ申した」
 あれだけ距離が離れていたのに――この人、人間離れした感覚の持ち主なのかもしれない。
「まいろうか、フォン殿」
「…………」
 逡巡の後、少年は小さく頷いた。
「よろしくお願いします」



 十狼を先頭に銀幕広場から歩くこと十数分。着いた場所は意外にも建物の多い入り組んだ路地のどん詰まりにある空き地であった。
 立ち入り禁止のふだのついたロープが張ってあるのにも構わず、十狼は迷わずそこへ入って行く。
「心配無用。竹川殿には話がついている」
 どうやら、導次親分の領域(シマ)であるらしい。
 ちょっとした児童公園よりもわずかに広いその空き地は周りにぐるりと建物がたっており、人通りの多い場所から視界が塞がれている。これならばムービースター好きの野次馬が見物に来ることもあるまい。
「とりあえず、貴殿の実力を見てみたい。打ち込んでまいられよ」
 早速、手招く十狼を、
「打ち込む……」
 フォン少年は困惑したように見つめ返す。
 天人(エルフ)の斬り込み隊長は怪訝げに尋ねた。
「先ほど、基本の型と紅蓮流の型を学んだと申されていたが……実戦経験は?」
「あ、ありません」
「組み手をしたことは」
「ありますが……大抵は型通りに打ち合うだけで」
「亡くなった師に師事して何年に?」
「6年です」
「なんと……」
 絶句している十狼に、恥じ入るようにうつむく少年。
「す、すみません――」
「いや、謝ることはあるまい。それが貴殿の師のやり方であったのであろう。では――私を仇と思い殺す気で攻撃していただこうか。遠慮は無用。むしろ、手を抜けば怪我をすると覚悟されよ」
 有無を言わせぬ気迫に、フォンは息をのんで頷いた。



 十狼とフォン少年の組み手は20分以上にも及んだ。組み手、といってもほぼ少年が一方的に打ち込み、十狼は攻撃を難なく避ける、もしくはいなし、受けるだけであったのだが。

 ――スピードは、悪くない。足運びも正確。繰り出す拳にもキレがある。かなり激しく運動し、攻撃を繰り出し続けているはずなのに、息の乱れもみられない。長年、基礎訓練を続けてきた賜物なのであろう。しかし――。
 強く地を蹴り、フォンが回し蹴りを繰り出した。
 ――隙が、大きい。
 内心で苦くつぶやき、十狼は迫り来る少年の細い足首を片手でひっ掴む。
「うわっ!?」
 思わず叫んだフォンを逆さのままに軽々と持ち上げ、目線を合わせて言った。
「軽い」
「へ……?」
「致命的だ。攻撃の一打一打が軽すぎて、決まり手に欠ける」
 予告なく掴んでいた足首を手放され、少年は咄嗟にくるりと反転し、足をつけて地に立つ――が、その瞬間、膝の後ろをぽんと蹴られて腰砕けに崩れ落ちた。いわゆる、ヒザカックン。
「――なっ!?」
 地に尻をつけたままで見上げるフォン。十狼は、座った目で見つめ返していた。
「貴殿の手は正直すぎる。フェイントなしに拳で戦うことを許されるのは敵の防御を打ち砕く力のある武人だけであろう。敵の数は50以上と聞いている。正攻法ではまず勝てまい」
 容赦のない指摘だった。
「一対多には奇襲が有効だが……敵陣に乗り込むのであれば、罠を張るのは難しかろうな」
「わ、罠?」
「うまくひとりづつの気を引き、おびき寄せては一対一で撃破というのが理想だが――」
「おびき寄せる?」
「さよう。自分よりも明らかに格上の敵を相手にする場合の鉄則は、いかに意表をつくか。相手の弱点につけいるか」
「そ、そんなっ! 十狼どの、それは武人としてあまりに卑怯です!」
 思わず口をついて出た、叫び。しかし、十狼はあっさりと一蹴した。
「それでは、犬死になさるか」
 一瞬、言葉につまったが、少年は必死に言い返す。
「死ぬことがあっても仕方ないことだとは思います。私は……相手を殺すつもりで挑みます。生きて帰ろうとは思いません」
「同じことだ。自己満足も甚だしい」
 十狼のひややかな目が、雄弁に語る。
 ――戦場を、舐めるな。
「志を果たせず敗れる無力こそ恥と思われよ」

 *

「今日はこれ以上の修練は無意味であろう」
 そう言い残し、明朝の集合を約束して十狼は去った。
 膝を抱えて冷たい地面に座り込み、動こうとしないフォン。
 薄暗くなりつつある空には星が瞬き始めている。
 放っておくわけにもいかず、薄野鎮は少年の隣に腰を下ろした。
「あー……フォン君。あんまり気にしすぎないほうがいいと思うよ? ほら、今日はもう遅いし……そうだ、おなかすいたでしょ、僕、導次親分から報酬が出るはずだから、今晩はおいしいもの食べさせてあげるよ」
 懸命にフォローを試みるも、少年の暗い表情は一向に変わらない。
「……冬月どのの、おっしゃる通りなのかもしれません。私には……きっと仇なんて討てない」
「そんな――あの十狼さんに明日からしっかり教えてもらえば、きっとどんな強い奴にだって勝てるよ」
「いいえ。勝ち負けの話ではないんです。そうではなくて――」
「卑怯な勝ち方はイヤだってこと? それは違うと思う」
 薄野の力強い否定の言葉に、少年は頭を上げた。
「十狼さんのこと、卑怯だなんて言ったらいけないよ。僕は拳法のことはよくわからないけど……頭を使って、考えながら戦うのって大事なことだっていうのはわかる。どちらかって言うと、力だけでねじ伏せるほうがよっぽど間違っているんじゃないかな。君の仇の『雷鳴館』って道場の人たちみたいにね」
 はっとしたように目を見開く少年。
 ようやく、コミュニケーションがとれそうだと薄野は少しほっとして続けた。
「ね? 考えてみようよ。さっき十狼さんが言ってたけど『雷鳴館』の道場主には何か弱点とかないの?」
「弱点……」
「たとえば、ピーマンが嫌いとか、虫が嫌いとか」
「ぴーまん?」
「いや……ピーマンは、いいんだ。ええっと――とにかく、何か苦手なもの」
「特に聞いたことはないですが――あっ」
「え? 何?」
「嫌いなものはわかりませんけど、その……道場主の好きなものなら」
 ちょっとイヤそうに眉をしかめて侮蔑を込めた小さな声で証言する。
「お酒と、女性」
「…………」
「…………」
「……それはまた」
 非常にわかりやすい嗜好だ。
「よく街でお酒を奪ったり、女の人を連れて行ったりしていたので――」
「なんていうか……『好きなもの』っていっちゃうのも、微妙だね」
「……ですね」
 あまりにストレートな『雷鳴館』の悪事ぶりに、ふたりは揃ってがっくりと下を向く。
「弱点は、酒と女……? うーん……あっ! じゃあさ、こういうのはどうかな?」
 咄嗟に浮かんだ名案に目を輝かせて、薄野青年は立ち上がった。
「たとえばさ、フォン君が女の子のふりをして、道場主に近づく。油断したところで、お酒をたくさん飲ませるんだ。で、ふらふらになったところをバシーンと!」
 ぐっと拳を突き出し、ヤマタノオロチみたいじゃない!? と期待を込めて振り返る――が、少年はぽかんとしてこちらを見上げていた。
「あーー……ダメ?」
 引っ込みがつかなくなった拳のやり場に困り、所在なくひらいた手の平を無意味にひらひら躍らせる。
「……ごめん。人の生き死にがかかってるのに……ちょっと、不謹慎だったかもね」
 気まずく謝る薄野であるが、
「いえ、違うんです……その――」
 首をふりふり、少年頭を垂れて肩を小刻みに震わせた。
 ――泣かせちゃった!?
 慌てる薄野を他所に、少年は肩を震わせ続け……ついには、はじけるように声を上げて笑い出す。
「あははは!! す、すみませんっ、ははは……」
「笑うことないじゃないか」
 つられたように薄野は苦笑する――ずっと硬い表情を崩さなかったこの男の子が初めてみせた笑顔に、安堵しながら。
 ようやく、笑いをおさめたフォンは真顔に戻る。だが、それは先ほどよりもいくぶん柔らかな表情だった。
「私の師は、戦災孤児だった私を拾い、武術を教えてくださいました。恩人であり、武術だけじゃない、たくさんのことを教えてくれた尊敬すべき師です。とても穏やかで心の優しい人で……薄野どの、あなたに少し似ているかもしれない」
 そして、暗い空に瞬く遠い星を眺める。
「師と、同門の兄弟子たちは残らず殺されてしまいました。私の目の前で。それなのに私は、何もできずに……むごい最期でした」
「フォン君……君のせいじゃない」
 慰めの言葉が、口をついて出ていた。慰めにならないことを知りながら。
 応えず、少年は代わりに言った。
「私は不肖の弟子です。正直……どうすることが一番正しいことなのか、わかりません」
 他ならぬ、自分の問題だというのに。
「けれど、はっきりとしていることがひとつだけあります。私の師匠は――あの悪党に殺されていい人間ではなかった」
 少年の暗い瞳に、静かな殺気の光が宿ったように見えて、薄野はギクリと身をこわばらせる。
「たとえ仇は討てなかったとしても」
 復讐であれば――。
「……フォン君、あまり思いつめたらいけないよ」
「ありがとうございます、薄野どの。大丈夫です。自分のできることを自分なりにすることしかできませんから」
 向けられた少年の瞳には、もう危険な光は消え去っていた。
「そうだ、さっきおっしゃっていた『女の子の格好をする』って、名案ですよね」
「名案!? 女装、だよ? できるの?」
 意外な申し出に、(提案しておいてなんだが)驚く薄野青年。
「ええ、上手くできるかわかりませんがやってみます」
 ――あんまり、上手くできるのもどうかと思うけど。
「よろしければ衣装を選んでいただけますか? さすがに男の私にはどれを着ればそれらしくなるか、わからなくて……」
「『男の』って」
 薄野は嫌な予感に冷や汗を流す。
「はい。やはり女性の着る服は、女性に選んでいただいたほうが――」
 嗚呼、やっぱり……と彼は紛れもない真実を口にした。
「……僕、男なんだけど」
「え!?」
 嘘!? みたいな顔でこちらをみつめる少年に、もう何度も口に出した誤解の訂正を、脱力した彼は疲れきった口調でゆっくりと言った。
「僕はね……女じゃ、ないんだよ」
 ――そっかぁ……最初からずーっと女と思われてたんだ……。



 翌朝も、冬にしてはあたたかな晴天であった。
 昨日の少年の発言や様子にこだわるでもなく、十狼は予告どおり空き地に現れた。
 薄野鎮とフォン少年が昨晩立てた作戦(あの後、さらに細かな内容をふたりで考えたのだ)の内容を報告すると、彼の端正な口元がちょっと笑い「意表はついているのではなかろうか」と頷いてくれた。

 それから数日間、十狼と少年の修練はつつがなく続けられた。
 十狼のとことん実戦向きなレクチャー(内容は7割方デンジャラスだ)を、少年は特に反論することもなく吸収しているようだ。
 さすがに見ているだけでは手持ち無沙汰になり、空き地の片隅に腰を下ろしつつ薄野青年は手元にオリエンタル系のファッションカタログを開き、ふたりの修行のやりとりを聞きながら眺めていた。『女装の衣装を選ぶ』と約束してしまったからにはリサーチしなければなるまい。
「よいか、フォン殿。人間の視界というのは左右方向には広いものだが、意外と上下方向には狭い。貴殿は身が軽い。それを最大限に活用して、敵の視界から消えるというのも戦法」
「つまり……飛び上がってみたり、身を低くしたりすれば良いのですね」
「さよう。ただし、動きが大きくなればなるほど、隙も増える。いかに状況を読むか――臨機応変さが必要だと心得られい」
 淡々としているが、厳しさの中に優しさが垣間見られる十狼の言葉とその声。
「はい!」
 元気に返事をするフォンはふっきれたのか、日に日に快活になっているようだ。
「にゃー」
 ……にゃー?
 背後から聞こえた猫の鳴き声。頭の上に載せていた『雨天』に髪を軽く引っ張られて振り向いてみれば……薄野青年は驚いた。人がやっとひとり通れるほど細い建物の隙間、初日に広場にいた細身の男――冬月の姿があったからだ。
「あなたは――」
「冬月真、探偵だ。奇遇だな」
 そっけなく、そう言い放つ彼は腕に1匹の猫を抱えている。
「どうして、ここへ?」
 薄野の問いに、
「仕事だ。こいつを追っていたら、ここに来ちまった」
 と猫に視線を落とす冬月。
「じゃあな」
「あの、ちょっと待ってください! 冬月さん、どうして銀幕広場であんなにきついことを言ったんですか?」
「…………」
 黙って探偵は自らの腕に抱いた猫を見つめる。
 沈黙は、数十秒続いた。
 猫だけが、細い声で鳴き続けている。
 もう、答えは望めない? ――思いかけたころに、冬月は口を開く。ひとりごとのように。
「許せなくてな。死んだ人間をあっさりと切り捨てちまうような野郎は」
 そして、元来た道へと去って行く。
 薄野は複雑な気持ちで、冬月の後姿を小さくなるまで見送る。
 彼の背中は、かたくなに孤独を背負っているように思えた。
 ――彼は誰か……大切な人を亡くしたのかもしれない。
 かけがえのない、大切な誰かを。



 『雷鳴館』襲撃、タイムリミットの当日。
 薄野、十狼、そしてフォン少年の3人は、いつもの広場にしかしいつもよりも早い時間から集まっていた。
「うん。元が色白でかわいい顔立ちだから、よく似合ってる」
 満足げに頷く薄野の隣で、コメントに困っているらしく、十狼はあいまいな表情で「うむ」と小さく頷く。
「ありがとうございます、薄野どの」
 ぎくしゃくと礼の言葉を述べるのは、いつもの汚れた修行用の道着ではなく、炎のように赤いアジアン風の踊り子衣装に身を包んだ少年である。伸ばしっぱなしだった髪の毛も、今や綺麗に整えられていた。
「十狼どの、これまで稽古をつけていただき、ありがとございます」
 初めて会ったときと同じに、彼は地面に肩膝をつく。その拍子、柔らかな素材の可憐なドレスの裾がふわりと舞った。
「おふたりとも――このご恩は生涯忘れません。きっと……いいえ、必ず討ち果たして――」
「ほらほら、フォン君。堅苦しいのはもうその辺にして。折角の服が汚れちゃうよ」
「え、あっ! も、申し訳ない」
 慌てて立ち上がった少年のスカートについた砂ぼこりを、ぱたぱたと叩いてやりながら薄野は言った。
「いい? 君は今、旅芸人の踊り子さんに化けてるんだから」
 ふたりが考え出した作戦――それは旅芸人に扮し、敵陣にもぐりこむというものだった。
「もっと笑わなきゃ、ね!」
「は、はい」
 しかし、意識すればするほど強張った表情になってしまい腐心する少年に向かい、十狼が何かを差し出した。
「これは私からのはなむけだ」
 それは、一振りの短刀だった。
「しかし……」
「使え、とは言わぬ。まじないや願掛けのようなものだと思えばよい」
「……わかりました。ありがたく、頂戴します」
 受け取ろうと手を伸ばすフォン。ふいに目線を合わせるように十狼は地に膝をついた。
「十狼どの!? やめてください、目下の者に対して――」
 抗議の声に耳をかさずに、美しい武人は少年の肩を優しく叩く。
「私が貴殿に教えたのは、付け焼刃の入れ知恵に過ぎぬ。師が遺したすべての技術を持って仇討ちに臨まれよ。それこそが、貴殿のできる師へのはなむけになろう」
 言葉を失い、歯をくいしばってうつむく少年。
 色鮮やかな衣装の赤に、ぽたりと涙が落ちる。
「――あなた方にお会いできて……心から良かったと思います。薄野どの、十狼どの……おふたりは、私の師です」
「役に立てて、よかった。本当に」
 死なないで、とはあえては言わない。寂しげに笑う薄野鎮と肩を抱き合い、十狼とは目顔で頷きあった。
「もし、冬月どのにお会いすることがあったら、どうかお伝えください。『あなたに私の無知さを教えていただけなければ私は亡くなった師を振り返ることなく、ただ敵を打ち負かすことのみ考える1週間を過ごしていたでしょう。冬月どのも紛れもなく私の師なのです』」
 こんなこと言ったら、またしかられてしまうでしょうね……そう恥じるように微笑んで、少年は落とした涙がにじみそうになっている服の裾を軽く払った。
「それでは――行ってまいります」
 宿敵『雷鳴館』の道場が現れているという杵間山へ――迷うことのない足取りで、少年は歩き出した。


クリエイターコメントこんにちは、平岡です。
今回は、こってりB級カンフーものを……と目論んでいたのですが、(わたくしにしては)非常にシリアスな展開になりました。
いつもながらに『予想外』で面白いプレイングをいただき、ありがとうございます。

薄野くん、毎度のご参加本当にありがとうございます。そして……すみません。やっぱり毎度ながら、かなり自由に書かせていただきました。
冬月さん、もっとハードボイルドでニヒルな男に書き上げたかったのですが……失礼いたしました。
十狼さん、「絶対にこんなもんじゃない、彼はもっと強くて渋くてクールなはずなんやー!」と叫びつつ修行風景を書かせていただきました。

改めて、ご参加いただき本当にありがとうございました☆
公開日時2007-01-30(火) 22:20
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